さてさて、今年もあとわずか。今年を振り返ってみましたよ。
プライベートでは、まーなんと言っても妻を亡くしたのが大きいですなぁ。
そもそもの始まりは・・・・娘が小学校6年の時に課外でバスケットの試合で親が参加する機会があったんですな。 その時、膝を痛めたのが始まりでした。 半月板とそこに繋がる腱を切ったんだっけ。
その精密検査をするための検査入院中に事故が起きました。検査自体は無事終わったのですが、検査で麻酔をかけた翌日にベッドから起き上がって、片足でケンケンしながらトイレに行き・・・戻りませんでした。 どうやら麻酔で起き上がれなかった間に膝に血が溜まり、それが動いたとたんに塊となって心臓や肺に運ばれ詰まったのです。 いわゆる、エコノミークラス症候群(急性肺血栓塞栓症)です。 血栓が詰まったのは本人は分からなかったでしょう 息をしているのに酸欠になる訳ですから。
トイレで倒れた妻は、すぐに発見されませんでした。 これがまず1因。
その時、タイミングが悪いことに私は日帰り出張に出ていました。 いや、私も検査手術が終わったのを確認してから出てるんですよ。 行き先は刈谷のデンソーさん、ロボットの講習でした。 認定講習でして外部からの連絡が取れませんでした。私も携帯を持っていませんでしたしね。
病院には、義姉と義母が居ました。しかし病院側は、夫である私の承諾がないと緊急手術は始めれないと言い張りました。 これが第2因。 お義姉さんはよくやったと思います。私の会社とデンソーに電話をかけ続けました。
私に連絡が付いたのが夕方5時前です。講習会場で意識不明の連絡を受けた私は、急いで帰ろうとしますが、車で来ていてしかもラッシュ時です。 病院にたどり着いたのは2時間後でした。 これが第3因。
それから、肺を開いて血栓を取り去る手術が始まりました。 手術室に運ばれる妻が、意識と関係なく身体が痙攣している・・・いや痙攣なんてものじゃなくストレッチャーの上で飛び跳ねていました。 それを見てもう・・・ 長い一夜でした。
妻は、もう二度と話すことはありませんでした。 息をしているだけの・・・ただ生きているだけの・・・意識のない・・・状態になりました。
当時、医療過誤ではないかと、訴えることも考えましたが、 実際に面倒を見てもらっていますし、しかも全て訴える側が資料を集め、時間と費用をかけ、知識のない専門分野に挑むことは、到底出来ませんでした。 そこで死ぬまで面倒をみてもらうことを条件に、私は口を噤みました。
いや、実際病院側はよくやってくれたと思います。 普通、医療施設では、病状が安定すると言葉は悪いですが、ほうり出され介護施設等に入らざるをえなくなりますが最後まで面倒をみてもらいましたし、高額医療費の適用の効かない部屋代とかは負担していただけましたし。 ・・・ただ こーやって実際に口を噤んでいる方は この日本に沢山居るんだろーな。 訴訟社会が良いとは思いませんが、実際にあった事は公表する方が今後の為になると思うのですが、やっぱ医療は聖域なんですかね? 国の法整備に期待します。
妻が倒れてからは、子供たち二人を育て上げるのは大変でしたよ。義父、義母が隣に住んでたとはとはいえ。 息子は、高校行かずに就職すると言いだすし、娘はグレるしww なかなかハードな人生でした。 なにより、毎晩 病院まで妻の寝巻の洗い替えを持って行かねばならんかった。14年間、365日 雨の日も風の日も年末年始も台風が来てても。 泊まりの出張があった時は、娘が対応してくれた。 あいつはこーゆーコトは二つ返事で引き受けたなww
当然、おむつからはみ出た汚物が寝巻を汚すこともあるから、風呂場で手洗いして。 まー私が行っていたことは、自宅で介護されてる方々に比べりゃ微々たるモンです。でも、やっぱり私は子供たちに自分の介護はさせたくないな。 あー早く尊厳死意思表示カードとか出来ないかな? 意識がなかったり、痴呆が出た時点で殺して欲しいな。 残されたものの為にも。
当然、私も聖人君子じゃありませんから、その間に浮気もしましたし、他の家にやっかいになってたこともありました。 しかし、毎晩病院に出かけていく男を誰が本気になれますかww
ま、妻が亡くなって私の生活スタイルは変わりました。 これからは自分の時間に使おうかなー
ありゃ、長くなっちゃったな。他は別にするか。
一時期小説にしようかと思った
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